プロバスケットボール選手として活躍をしている、西田優大選手。
日本代表にも選ばれるなど注目を集めています。
そんな西田優大選手は学生時代は意外にも苦労することが多かったんだとか。
西田優大選手がどのような学生時代を送っていたのか、気になりますよね。
今回は、プロバスケットボールの西田優大選手の学歴についてまとめました。
【Wiki】西田優大のプロフィール
プロバスケットボールBリーグの『シーホース三河』で活躍する西田優大選手のプロフィールをご紹介します。

- 名前 西田優大(にしだ ゆうだい)
- 愛称 おでんくん
- 生年月日 1999年3月13日
- 出身 徳島県海部郡海陽町
- 身長 190cm
- 体重 90kg
- 所属チーム シーホース三河
- ポジション シューティングガード
- 利き手 左手
Bリーグの『シーホース三河』に所属する西田優大選手。
父は、徳島県リーグに所属したバスケ選手、弟2人もバスケットボール選手というバスケ一家で育ったそうです。
身長190cmという恵まれた体型もバスケットボールををやっていたお父さんの影響のようですね。
リリー・フランキーの絵本『おでんくん』の主人公に顔が似ていることから、愛称は『おでんくん』
優しい顔立ちが確かに似ていますよね。
本人も気に入っているようで、SNSのアカウント名に使うほどなんだとか。
西田優大の学歴まとめ

プロバスケットボール選手の西田優大さん。
バスケ一家で育ち、小さい頃からバスケに親しんでいたようです。
そんな西田選手の学生時代が気になりますよね。
西田優大選手の学歴についてまとめました。
小学校は『海陽町立海部小学校』

西田優大選手の通っていた小学校は
海陽町立海部小学校です。
西田選手の地元は、360度を田んぼに囲まれているようなのどかな雰囲気の場所で生まれ育ったそうです。
バスケを始めたきっかけは?

西田優大選手がバスケを始めたのは小学3年生のとき。
徳島県リーグに所属していたお父さんの影響のようです。
小さい頃からお父さんのプレーする姿を身近に見ていたんですね。
隣町にある『牟岐ミニバスケットボール』に入団しました。
西田選手が住んでいる海陽町にはミニバスチームがなかったそうです。
泣きながら練習していた?!

お父さんが徳島県リーグのバスケットボール選手というサラブレッドの西田優大選手。
子どもの頃からお父さんと練習することがあったそうです。
特にシュートを打つことが好きだったようで、
「家のリングでシュートを10本連続で決めてからミニバスの練習に行っていました」と本人。父・公人は当時をこう述懐する。
「負けず嫌いなところもあり、10本連続で入らず泣きながらシュート打っている時もありました。私が“もういいぞ”と言っても、絶対にやめなかったですね」
スポーツコミュニケーションズ
といったエピソードがあるほど。
負けず嫌いな性格で小さな頃から練習を重ねたことで、現在の活躍があるんですね。
バスケットボール選手だったお父さんも、中学にあがるころには西田選手の方が上手と認めるほどの才能だったようですよ。
中学校は『海陽町立海陽中学校』

西田優大選手の通っていた中学校は
徳島県海陽町立海陽中学校です。
小学校でバスケを始めた西田選手ですが、中学校は地元の学校に進学しました。
中学で世代別日本代表合宿に参加

海陽中学校はバスケの強豪校というわけではなく、全国大会に出場することはなかったそうです。
しかし、エースで主将を務めていた西田選手の実力は有名だったようで、徳島県選抜のジュニアオールスターずに選ばれています。
また、U-16日本代表の合宿に参加するなど、かなり注目された選手だったようです。
プロになってから母校に恩返し

地元をとても大切にしているという西田優大選手は、中学校を卒業しプロになったあと、中学校の後輩たちをホームゲームに招待しています。
『学生たちに夢に向かって努力してほしい』
『地元への恩返し』
という思いがあるそうです。
招待してもらった中学校の後輩たちもとても喜んだのでしょう。
現在は地元を離れて活動をしている西田選手の、徳島を大切にする気持ちが伝わるエピソードですね。
高校は『福岡大学付属大濠高等学校』

西田優大選手の通っていた高校は
福岡大学付属大濠高等学校です。
大濠高等学校の偏差値は『62』
福岡県内の私立高校の中で3位。
福岡県内全ての高校の中でも8位と頭のいい学校ですね。
大濠高等学校はスポーツの強豪校として知られ、バスケの他にも
- 剣道部
- バドミントン部
- バレーボール部
など、様々な部活動で全国優勝を果たしています。
西田選手の他にも
- 橋本竜馬
- 牧隼利
- 井上宗一郎
など、数多くのバスケットボール選手を輩出しています。
高校時代の成績は?

バスケットボールの強豪校である『福岡大学附属大濠高等学校』に進学した西田優大選手。
高校時代の成績は
- 高校1年生 インターハイ優勝・ウインターカップ準優勝
- 高校2年生 インターハイ2回戦敗退・ウインターカップ2回戦敗退
- 高校3年生 インターハイ1回戦敗退・ウインターカップ2回戦敗退
バスケットボールの強豪校である『大濠高等学校』ですが、西田選手が在籍していた当時は、思うように成績を残すことができなかったようです。
インターハイを優勝した先輩方を見ていた西田選手は、かなり悔しい思いをしたのではないでしょうか。
練習漬けの毎日だった

バスケットボールの強豪校である『大濠高校』に進学した西田選手ですが、強豪校ということもありレギュラーを掴むのは簡単ではなかったようです。
そのため、寮と隣接している体育館に通い、自主練でもシュートを打ち込み続けるなど、バスケ漬けの日々を送っていたそうです。
そんな、努力が現在のプレーに繋がっていたのですね。
大学は『東海大学』

西田優大選手の通っていた大学は
東海大学体育学部競技スポーツ学科です。
東海大学体育学部の偏差値は『45』
東海大学といえば、
- 竹内譲次
- 田中大貴
など数多くの日本代表を輩出している強豪校です。
西田優大選手が東海大学に進学した理由は、
中学時代の恩師が陸川章監督の大ファンだったので、陸川監督のいる東海大学で活躍することが恩返しになる
と思ったからのようです。
また、西田選手が入学した当時、インカレを4度優勝していた強豪校で、もっとバスケが上手くなりたかった
という思いもあったんだとか。
常に上を目指すだけではなく、恩師にへの感謝の気持ちや恩返しの気持ちを常に考えている西田選手の優しさが伝わりますね。
大学時代の成績は?

バスケットボールの強豪校『東海大学』に進学した西田優大選手ですが、大学時代は怪我に悩まされることが多かったようです。
1年生の時にはインカレ前に腰を痛め、3年生の春には右足をねんざするなど、苦労することが続きました。
西田選手自身も
『ケガなく過ごせたのは4年のシーズンくらい』
というほど、苦い思いがあるようですね。
それでも、大学3年生の時には
特別指定選手で『名古屋ダイヤモンドドルフィンズ』に加入
2021年12月、大学卒業前に『新潟アルビレックスBB』とプロ契約を結びました。
悔しい思いをした分だけ、Bリーグでプロデビューできた時の喜びはひと塩だったのではないでしょうか。